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ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

職場で排泄したいなら。

 

昼過ぎからこんな話題でごめんなさい。

 

私ごとでしかないですが、僕は基本的に家のトイレじゃないとなぜか大ができません。外のトイレは綺麗だとしても、あんまり入る気になれません。同業者の方いませんかね。

 

座って出なくなるとかではないけれど、お便りが届いた時に、家まで行けるなら我慢したくなる体に悪いタイプです。習慣とは恐ろしいもので、出した方が身体にいいことは分かるんですが、体が言うことを聞かないのです。別の観点で踏ん張ってしまうのです。

 

 

だから職場でお便りが届くと最悪です。

 

出すべきか、出さぬべきか。それが問題になります。

基本的にギリギリのラインで一進一退を繰り返し、せめて休憩時間までは我慢しようと思うのですが、通勤快速みたいなお便りだとこれがそうもいかなくなります。

持ち場を離れてトイレに行ったとして、すぐに戻れるならいいんですが、長期戦必至みたいなやつだと、周りの目が気になり、行くに行けない。そんな葛藤を抱え、括約筋を締め続けます。

 

そもそも我慢できるなら家までしたいのです。それが無理だから休憩時間という妥協策なのに、通勤快速はそんな妥協策すら許してくれません。

 

早く行ってスッキリすればいいのに。そう思う人は、うんこ、失礼。お便りとの付き合いがドライな人達なんだと僕は思います。

 

ウェッティな、あ、物の質感ではなく、付き合い方がウェッティな僕は、割り切りの排泄が出来ないので、ゆっくりと長い時間を取れる休憩時間を待つのが最良な選択肢だと常々思っています。

 

しかし、これはまた別の問題を生むこともあります。

 

肛門という名の駅を通り過ぎることはありませんが、我慢してて、体内から臭いが漏れてるんじゃないか。そんな心配が脳裏をよぎることがあります。

 

そうなったら最悪です。

席を立ったら確実に、臭かったのあいつかよと思われかねません。

それはなんとしても避けねばならぬ事態です。

 

僕はなんでこんな排泄1つに頭を悩ませているのでしょうか。毎回悲しくなります。

しかしながらこれが人のさがというもの。僕は来る日も来る日も職場でお便りが、届かぬよう祈り続けます。

 

 

まぁ、いつだって祈りとは虚しいもので、今日もまたお便りが特急で届きました。

2時間程度、行くか行かぬか頭を悩ませた僕は、あまりにも低下した集中力を取り戻すため、意を決して業務時間内にトイレに駆け込みました。

 

日頃感じている葛藤からの解放か、はたまた運良くキレがよかったのか、5分程度で個室を出ることに成功した僕は、今日、また1つに大人の階段を登れたような気がします。

 

駆け込んでズボンを下ろし腰掛けた瞬間、なぜだか幸福感が僕を包みました。

これが、人間生活を満喫するということか。

そんな悟りの境地に達したような気さえするのです。

 

 

職場で排泄したいなら。

 

 

汚い話でごめんなさい。

 

では、また。

 

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