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ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

裸族になりたい。

 

裸族になりたい。

人に見られたいとか、見せたいとか、罵られたいとか、そういう変態的な欲望があるわけではなく。

体にいいことをしたいと思う。ただこれに尽きる。

 

ツボとか、ヨガとか、整体とか、20数年生きてきて、いろんなものを溜め込んだ体を一回リセットしたいと思うときは定期的にある。そしてそれは、日々の中で上手くいかないことを、責任転嫁したいと感じた時に決まって思うのだ。

溜め込んだ歪みがなければ上手くいったのにと、事の原因を手近なところで留めておきたいと思ってしまう八つ当たり。そんな日に裸族になれたら楽になれると思いませんか?

 

裸族はほら、服に圧迫されないから肌が綺麗になったり、自分のスタイルをまざまざと自分から見せつけられるってので、姿勢がよくなるらしいじゃないですか。日頃の意識を変えることで云々みたいな。すぐさま飛びつきたいよ。脱ぐだけで姿勢改善なんて、簡単すぎる。

 

骨盤、姿勢、胃が世紀末な僕は、とにかく簡単、手軽にできる予防法、改善法みたいな記事を見るとすぐ飛びついてしまう。効果のほどは定かではなくても、とにかくやってみたいと思う人間心に振り回される。毎回効果を実感する前にやめてしまうから、ほんとに信用できる方法だったのかはわからずじまいだけれど。

飛びついて実践している時は少しだけ救われた気持ちになる。これがもしかしたら、世紀末の救世主になるのかもと考えるとユリアの気持ちになる。体は楽になってないのに。癒やしの力を自分に振るってあげたい。

 

信仰宗教にはまる人がいるように、壺を買えば幸せになれると思ってしまう人がいるように、異性から見ればぜったい違うと言い切れる恋愛テクニックを信じてしまったり、科学的な根拠はないサプリや健康器具に手を出してしまう人が一定数いるのはこういう気持ちがあるからなのかなと感じる。

どうにかしたいと思っている時に、目の前に藁が流れてきたらすがってしまうのが人間ではないか。

 

だから僕は裸族になってみたい。

体にいいならやってみて、曲がりきった猫背をなんとかしたい。

意識すればいいのだから、裸族にならなくたってという考え方もあるが、そんなに屈強な意志を持ってたら、今日こそはダイエットの1歩目!なんて毎日思わない。

 

とにかく良いと謳われているものにすがってしまいたい。

そうしたら、ろくでもない日常のを少しは変えられるのではないかと期待してしまう。

マインドフルネスとか、水素水とか、日々のルーティーンを作るとか、やると毎日が幸せになるよと謳われると、半信半疑ながらもやってみたいと思う僕が顔を出す。たいがいが挑戦しようとした時に急に我に返って恥ずかしくなるのがお決まりなんだけど。

 

なんの前触れもなく、あー裸族になりたい。と思うとき、それは単純に逃げたいとか、言い訳したいとか、帰ってふて寝したい等の単なる表象なのかもしれないが、僕はとにかく裸族になりたい。

裸族になって、楽に姿勢改善して、モデルにスカウトされて、芸能界デビューして、長澤まさみと結婚したい。長澤まさみと結婚したい。

 

なんてことない現実逃避。都合よく流れてくる藁に現実を助ける力なんてあるわけない。

 

 

では、また。

 

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