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ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

ドレッシングの適量が分からない。

 

分かりますか?

 

かけすぎても、少なくても野菜って食べられるじゃないですか。

 

なのにかけすぎたら、野菜のヘルシーな効果は無くなるし、少ないと、あんまり美味しく食べられない。

トッピング感覚のあいつ。かけるだけなのに重要な役割を担いすぎてる。まさかゴマもここまで世間に愛される存在になるとは思ってないだろう。

 

 

その点、コンビニで売ってるサラダは、使い切りのドレッシングがついてて分かりやすい。消費経済に慣れ親しんだ僕は、もう工場の定めたドレッシング意外では適切な味を楽しめない。現代社会に舌を飼いならされている。

フレンチとか和風とかオニオンとか、何もない名前と味の関連性を疑わなくなってるところから、舌の支配権を、キューピーに奪われたのではないかと思いたくなる。

 

 

野菜の味ってそもそもはっきりしてないじゃないですか。トマトとかピーマンみたいな主張の強いやつならわかるけど、サニーレタスとかのレタス系って口の中入ったら同じですよね。

 

焼肉の味はタレの味ってのと同じ現象。

 

かけたドレッシングの味でサラダを楽しむしかない現代人には、ドレッシングの量は死活問題となり得る。このままではサラダ本来の味を失ってしまう。野菜の味を楽しみながらサラダを食べるのに適切な量とはこれいかに。

 

 

適度ってのは、ドレッシングに限らず測るのが大変難しいと僕は思う。

次の日後悔しない、適度な酒の量。

やきもきさせるための、適度な気になるあの子との距離感。

フォロワーにかまってもらえる、病みツイートと元気なツイートの適度なバランス。

可愛い過ぎず、紹介しても引かれない程度の適度な顔面状況。

絶対嘘だとバレない適度な演技。

守るのが難しい「ちょうどいい感じ」は人の数だけこの世にある。

 

ドレッシング意外にも適量が分からないことは山ほどある。

お世辞の分量とか苦笑いから真顔に戻る時間とか、見送りで手を振り続ける時間、枕の高さから、褒められた時の反応まで、ちょうどいい具合がどこにあるのか分からない。

もっとちょうどいい具合があると、どこかで思ってしまうのだ。

 

適度と名がつくものとの距離感は、気づいたら迫り過ぎてて、「ほどほど」という状況でとどまることは非常に難しい。

 

ここでやめとけば1番楽しいとわかっていても気づいたらもう1杯酒を注文していることなんてザラだ。

頭ではそろそろキャパ的にレッドゾーンってのはわかっていても、あと1杯なら大丈夫な気がしてしまうのだ。ちょうどいいところで止まるには、他の可能性はないと断言できる確固たる意志が必要なのだ。

回りが悪くなった頭で、1番適切なところを探すには、もう少しを欲する、欲が邪魔でしかない。

 

 

適度を守るために開催される自分とのチキンレース

脱落者には皆一様に自制心が足りないことだけは明白だ。

 

今の状況以外に、1番がある気がしてしまう僕らには、足ることを知ることが1番だ。

 

だからドレッシングの適量教えてください。

 

 

では、また。

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