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ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

改憲は賛成と反対どっちにつけばいいの。

 

「2020年を新しい憲法が施工される年にしたい」

5月3日に安倍首相が憲法改正に向けて動くよとメッセージを発信した。

 

改憲の内容の是非は一度置いといて、戦後、復興の象徴ともなった東京オリンピックをもう一度行う年であることを考えると、新憲法の施工を行う節目としては、ちょうどいいような気がする。ゾロ目とか、キリ番とか、日本人はなぜかキリのいい数字が好きで、国をあげての問題も国民性がにじみ出ているような気がしなくもない。

 

こういった賛成、反対の議論が繰り広げられるものに対して、周辺知識を蓄え、自分の力だけで、意見を振りかざすのは大変むずかしい。

日頃から積極的に面白くもない論文や社説を読み、私はこう思ってますと持論を構築する10代・20代はそういない。

GWは懐かしの友人とカフェだランチ!とか潮干狩りしたら日焼けしたー(萎)とか、LINEのクジ当たらない~とか書いてあるストーリーを見るのに忙しい若者が、居酒屋で政治の話はちょっと。とすりこまれた若者が、改憲であるからといって今更積極的に、憲法改正の是非を考えることはないだろう。

 

そうなってくると今後大切なのは、風潮的にどちらにつくかということになってくる。

意見を持ってないと思われるのは恥ずかしい。けど実際のところ、そんなに実生活に利も不利もなさそうだからどっちでもいい。大衆に混ざるのが1番いい。こんな思考にたどり着いた若人はとりあえずどっち側に付くかをざっくり考える。

安保のときもそうだった。盛り上がりを見せる反対派のデモにはとりあえずで参加して、意見をもっているかのように振る舞った人たちの姿が時折叩かれては、忘れ去られていた。

 

ある意味酷な話で、学校教育は特定の政党に傾くことなく中立の立場で概要を教え込まれたのに、社会にでたら自分の力で考えて選挙に行ってください。政治に参加してくださいって、是非の判断をするための過程が与えられてないのに、さぁ!と迫られたって露頭に迷うだけではないか。

 

まだ本題にすら入ってないのに800字も前置きをしてしまった。

閑話休題ということで、改憲が予定されているけど、これどっちの立場にいるのがいいのか、ざっくり考えたい。意見お貸ししますのコンセプトに基づける日がようやく来た。わからなくたってこれを読めば一応意見は言える。そんな感じを目指します。

 

といっても、所詮僕もニュース編集やってるとはいえまだまだ若い20代。

政治を語るのはFaceBookにいるおじさんたちに任せ、考えるべきポイントをあぶり出していきたい。その上で、自分の意見はどっちの立場なのかを考えてもらえたら幸いです。

 

全文が長くなると思われます。スクロールしながら、目についた単語の文を読むだけでも、足しにはなるかと。

 

 

朝日新聞の首相メッセージ全文によると、今回の改憲にむけた発言の骨組みは、

憲法が変わらず70年。次なる70年に向けてこの国の未来像にむけて具体的な議論を始める時期が来た。

・2020年を新しく生まれ変わった日本が動き出す年にしたい。

これが意気込み

今の段階で挙げられている改憲への論点

・9条の平和理念は堅持。けれど自衛隊は明文化する。

・人材を育てるために高校教育は無償化したい。

 

とまあこんな感じ。

全文を読んで「自衛隊は、違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ」というのはあまりにも無責任です。

という部分は一理あるなと納得してしまいました。災害や南スーダンの派遣をうけ、自衛隊への信頼度が9割を超えている今だからこそ、人に響く発言になっているのではないでしょうか。

違憲かどうか、まだ決着がついてない状況で明文化しようとする部分が議論を呼ぶんだろうなって感じ。

戦力の不保持を銘打った9条2項の不保持・交戦権の否認はそのままで3項として自衛隊の存在を追記する。改正実現にむけて承認されるようにギリギリのラインを通してきてる。そんな印象を受けました。

 

北朝鮮情勢の悪化や災害時の救助活動によって、自衛隊は市民権を獲得してきました。

ここで自衛隊を明文化することは国民的な議論の余地がある。と述べられているが、幅広い支持を得ている自衛隊を条文化する狙いはどこにあるのだろうか。

これは集団自衛権行使の容認に踏み切った首相の狙いがあると僕は思います。

 

歴代内閣が違憲だと考えてきた集団自衛権。これを容認するために、憲法解釈を変えた安倍内閣憲法の条文としても集団自衛権を容認する方向にもっていきたいのではないのでしょうか。

 

PKOの派遣で自衛隊が1人も殺されることなく、また1人も殺すことなく帰ってきたのは9条が海外での武力行使に歯止めをかけたから。という見方があります。紛争に関与しながらも武力関与せずに非軍事的な貢献をしているという点では、9条を変える必要はないなと確かに感じます。非軍事的な支援で大きく貢献することで、日本に対する平和的な信用をさらに築くことを可能にするからです。この点では9条を変更する必要性を感じません。

 

しかしながら北朝鮮情勢をみると、そう良い点ばかりではないと思います。

武力がないから、防衛にはどうしても米国の力を借りることになります。韓国のようにTHADDを半端ない額で売りつけられることはないにしても、協調関係のなかで国を守っていくためには、自衛隊の位置づけが明確でないと、不用意な議論で取るべき行動をとれなくなります。『シンゴジラ』で風刺された会議のシーンのように、有事の自体に憲法に足元をすくわれていたのでは、元も子もありません。

現在のルールだと、米軍が敵国を攻撃した時、日本は専門防衛に回ることになります。知恵をいかした立ち回りのような気もしますが、アジアでの戦闘の場合被害を受けるのは米ではなく日本です。自国を守る役割を果たす自衛隊違憲だけど命張ってこいというのはやはりひどい話です。

他国を攻撃しないという意思表示にもなるため、自衛隊を軍として位置づける必要はまったくもってないですが、東日本大震災の時にルールがルールがと騒ぎ、対応が後手に回り続けた日本の政府をみると、自衛隊を明文化しておくメリットがないとは言い切れません。明文化されているからこそ、速やかに専門防衛に周り、役割がはたせると僕は思います。

 

今出ている2つの案では、この3項の追加が大きな論点になると考えられます。

自衛隊違憲なのにと考える学者や、集団自衛権の容認に繋がるから阻止したいと考える人達、それからこの案に賛同する人たち。切り口がそれぞれ異なり、どれも正しいように思えてきます。そう思わせるだけの意見をまとめている人の発言は熱心に聞き、自分の立場を明確にするのに、借用するべきだと僕は思います。

 

憲法は国の理念なわけですから、そうやすやすと簡単に変えるべきではありません。

しかし、改憲するべきタイミングを今として与えられた以上は、国の理念を現代に通ずるように、未来に伝えられるようにするにはどうするべきなのかを考える必要があります。

戦後の日本を平和国家として位置づけてきた第9条。

自分の意見を持つためには、自らの国をどう守るのかを考えたときに、9条を変えるか変えないかを一定の基準にすればいいと思います。

 

ただ、仏大統領線においてルペン氏が訴えた、

分断線を引いて「あちら側」を排除することで、「こちら側」に(私たち)をつくる。包摂ではなく、排除によって生み出された(私たち)が選ぶ憲法は・大統領は「私たち」のものになり得るのだろうか。

 という言葉の通りに、自分の意見とは違う意見を排除し、あたかも自分の意見が総意であるかのように考えるのは、全体の憲法になれない。ということはこの国民的な議論へ望むにあたって念頭に置くべきものだと思います。

改憲派護憲派をあちらとこちらにわけて考えるのは地に足付いた議論を生み出すことはできない。 

 

9条があるから平和なのか。

平和だから9条に従うことができるのか。

 

憲法を原点に豊かになった日本が掲げるべき理念を考え直したい。

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