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ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

テレビのある暮らし。

 

視聴率の低迷が騒がれ、あの月9ですら廃止説が囁かれているテレビ業界。

 

テレビがつまらないは本当か。

今日はそんなことを考えたい。

 

現代の映画と一昔前の映画を比べると食事風景に変化があるくらい、テレビの存在が変化させた風景は多い。

昔はテーブルを囲んで食事している様子が描かれていたけど、今ではテレビの前で横並びという食事形態が多く見受けられる。

 

3Cと呼ばれるくらいカラーテレビは発展の象徴だったし、テレビという存在が生活に与えたものは数知れない。

 

テレビが生活になじみ、ごく当たり前の存在になると、その質が問われ始めた。視聴者が気軽に意見を発信する側にまわれるようになると、面白い番組とつまらない番組は話題の規模に差ができ、つまらなければ、つまり反応が悪ければ、すぐにテコ入れと期待の裏切りの追いかけっこが繰り返され始めた。

 

革新できるという点で見ればいい面として、よくも悪くも、もうネタ切れ感が出てきた。長い間見られてきた以上これは仕方ないことだと思う。

 

それに加えて、ユーチューブやニコ動など、同じ動画という土俵では、よりターゲットにフォーカスした作品が公開されるようになり、幅広い層を相手にしなければならないテレビ番組が劣勢を強いられるのはしかたないことだ。

 

けれど、だからテレビがつまらない。という考え方は確信をつけていないように思える。

 

イッテQやしゃべくり007、嵐にしやがれワイドナショードラえもんプリキュアなんかはご長寿番組だったり、今なお人気のある番組だったりする。

一部分を切り抜いた動画はタイムラインにも多く転がっている。これは、この番組が面白い番組ということではないか。

 

AbemaTVのプログラムも見ている人が多いものは存在するし、けっしてテレビがつまらないから見ない。という状況は起きていないのだ。

 

なのに、テレビはつまらない。が一人歩きしている。

 

惰性で見続ける場合、なんとなくついているから見る場合。見たら期待を裏切られた場合。

別に肩を持つわけではないが、テレビがつまらないと感じる人はどこの場面でそう発信するのか。

 

もちろん、台本や構成の質が低いものは存在する。そういったものがつまらないと言われるのはごく自然なことだ。

ネットの方が面白いから、見たいものは動画サイトにあるから、だからテレビはつまらないとするのは、早計だ。

 

コマーシャルを例にあげると分かりやすい。

男性であれば化粧品のCMを見ても購買意欲をそそられたり、これ使って見たいとは思わない。

女性であれば、男性用のワックスのCMなんかがこれに該当する。

例外あるよってひとはごめんなさい。

 

他にも、ダイエット中でなければダイエット商品のCMは頭に入らないし、家の建て替えや購入に関心がなければ不動産系のCMは気に留めないだろう。

 

つまり、流れてくるものにはターゲットが設定されている。

 

このターゲットオーディエンスに焦点を絞って、番組なりCMは作られている。お昼の時間帯の番組が主婦層に向けて作られているのはよく知られていることだ。

 

気軽に自分が対象になっているものを選択できるようになったが故、僕らがターゲットから外れたものは無意識的につまらないと感じてしまっている。

NHKの教育番組を見ても、昔ほど面白いとは思わない。これと同じ理屈なのだ。

 

単純に質や企画的な問題につまらないだとか、面白くないとか感じるのは個人の自由だし、よりよくしていくためにも発信するべきだろう。視聴者の声が届く現代ならではの発展が期待できる。

バクマン。の1話のように寄せすぎも良くないが。

 

けれどターゲットオーディエンスから外れているにもかかわらず、つまらないと騒ぎ立てるのは、作品の発展を妨げると僕は思う。

見る見ないが自由な形態だからこそ、ターゲットでないなら別に見なければいいのだ。

面白いものを選択した結果がネットならそれでいい。ただ、対象が違うものを比べて面白さに優劣をつけるのは、いかがなものか。

 

今日は帰ったら撮ってあるアメトークを見るのが楽しみ。

僕にとってではあるけれど、帰ってからの楽しみになれるテレビはまだまだ捨てたもんじゃない。そう思います。

 

では、また。

 

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