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ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

エンドロールが流れない映画館。

 

金曜ロードショーがまたエンドロールぶった切った。

しかも亡くなられたポールウォーカーに映像や曲を寄せて、感情を盛り上げてる中で。

他局ではあるが、みんなで歌おうアナと雪の女王でエンディングと本編の関わりがいかに大事であるかがよくわかっているなかでの、この編集は暴挙といっても過言ではない。

 

映画のエンドロールしかり小説のあとがきしかりゲームのスタッフクレジットしかり、本編と直接の関係はないが、作品の最後に詰められた製作者の思いは、そこまで含めて作品全部だと思う。

そしてそれが、作品の中に入り込んだ僕らを現実世界に戻してくれる架け橋的な役割を果たしてくれている。

 

オチまで見終わって実生活に戻るには、あの数分くらいのちょうどいい時間が大切で、ないと作品が尻すぼみになる。

暗闇に浮かぶ白字や文体が変わった数ページが頭を切り替えたり、内容を持ち帰ってくる役割を果たしてますって人は多いだろう。

 

混雑が嫌いな友達も、エンドロールまで見てから大勢の人と同じタイミングで立ち上がってる。そのあと歩きづらいなもう!って怒ってるけど。

それでも見たいと思うのがエンドロール。

 

なのに地上波の放送ときたら真っ先に切るのはエンドロール。

毎回中途半端に流すから寸止めされてる気分。

 

 

まあスポンサーとか時間枠の兼ね合いがあるからカットだとかCMを多く挟むとかそういうのは仕方ないと思う。

さんざんやりやがったよ日テレ、的な目線で書いてきたけど、金曜ロードショーがなくなられても困る。3週連続ジブリのあの声に夏を感じられなくなる。

 

そんな、僕分かってますから的な立場を強調したところで、今回提案したいのはエンドロールカットしてもいいから次週の作品すぐ予告しないで案だ。

 

昨日のワイスピの時ポールウォーカーに捧げるで映像が切られた。ここはもう仕方ない。しかし次のカットが間髪入れずに入ったことで、若干あったエンディングがないものと化した。

つまり余韻に浸れる幾ばくかの時間がアニーの予告で上書きされた。音声英語、字幕日本語に設定していたのに、ばっちり日本語で登場人物が話し始め、亡くなられたことを伝える文章とそれに寄り添うかのような歌詞はどこかへ吹き飛んだ。

 

音声を字幕か吹き替えで見るかも個人の好みの問題だから全てに対応しようと網羅するのは難しいだろう。

しかし予告を早急に入れることで、一息すらつかせない今回の構成は、企画としての金曜ロードショーが、放送する映画の品位を貶めてるように思えるのだ。

 

だからエンドロールを切ったとしても、最後のカットで一瞬間をあける作戦がうまくいくと思う。黒バックにフェードアウトするのでもいい。

これならエンドロールカットしないで派の人も少しはゆとりを持って映画を楽しめるし、日テレ側も尺を気にしなくてよくなる。

テレビが故障したと思ったなんて意見が出てきそうだが、習慣化されればそんなことなくなるだろう。

 

お茶の間で映画を見ながらネット上でワイワイ言い合う姿は現代ならではであって、映画の楽しみ方は変化しつつある。

dボタンやハッシュタグはそのいい例だろう。

けれど、どんな楽しみ方であれ、2時間程度の作品に集中し、カタルシスを感じる作品に対する本質はそう変化するものではない。

 

CM中に飲み物や食べ物を補充したりと、時間内目一杯に作品を見続けるわけではないこの特殊な映画上映スタイルに、品位だの余韻だのを言うのはいちゃんもんと同じかもしれないが、オープニングとエンディングのあるなしは作品の見た感が全く異なる。

 

どうか作品に自分が入り込める隙間だけは確保する方向でいてもらいたい。

 

では、また。

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