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ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

安心してください。断絶してますよ。

 

とにかく明るい安村、実家と断絶状態なんだってね。

有吉の壁に出てる安村、体はってて面白いし、しぶとく残って欲しいななんて思ってた日に記事で届いてた。

 

自殺されてからいじめっこが伏し目がち言う、やりすぎました。ごめんなさい。となんら変わらぬ状況が各所で起こってる。橋本奈々未さん曰く、なんもなかったらしいしね。

 

あくまでだけど、僕は芸能ニュースやゴシップニュースなんてどうでもいい。

地元の先輩や、顔すら知らない他人の上司の話くらいどうだっていい。

 

不倫してようが、枕してようが、ソニーのお偉いさんの家に遊びにいってようが、卒論出そうとしてようが、僕には関係のない人たちの話であって、どんな思惑を持って活動してようとも、それで僕が不幸になることはない。もちろん行為に反感を抱くことはあるけれど、それは行為に対してであって、会ったこともない人の人格云々を否定するつもりはない。

ただ、長澤まさみとごはんに行った時の洋次郎だけは許さない。お前人間じゃないんだろ、、、譲れよ。俺は人間なんだから。

 

 

そんなことを思うから、わざわざ関係のない人たちのところにいって、文句を矢継ぎ早に言える人たちはすごいと思う。不貞行為そのものではなく、人の好み・売れ具合・知名度にむかって文句を言えるその心意気は思わず感嘆してしまう。

 

ほんとに嫌いになったり、ムカついてるなら安村にも、ベッキーにも、川谷にも、トータルテンボススキマスイッチじゃないほうにも、話題がのぼったらちゃんと文句いえよ。もしその怒りが一過性のものならそれは感情じゃなくてブームだろ。1人で踊れないのに、踊らされて文句は言うなよ。

 

文春砲なんて言葉が人気になり、ジャーナリズム大賞なんてもんを受賞していたけれど、文春のゴシップ記事にジャーナリズムがあるならこの国で真っ当な正しさはもう主張できないですよ。

 

テレビの向こう側で笑ってるただの人間をよってたかって火炙りにするって、動物園の檻の向こうにいるゴリラの交尾かなんかを笑って見てるのとなんら変わりがない。

 

人の不幸が娯楽にし、踏み外した道を拾い上げ、後ろ指さすことがジャーナリズムであるならば、この国は終わってる。

 

確かにゴシップに代表される不倫は不貞行為そのもので、許されるものではないだろう。

けど、1回誤ったらもう2度と人間社会に復帰できないように痛めつける姿勢はいかがなものか。

行為の結果には必ず次が付随する。

それを許さず、失態を探り合い、提示されたら待つのは身の破滅って、気づいたら芸能界はデスゲームだ。利根川も多分ビビってる。

 

なんでも許せと言うわけでもないし、人に見られる世界なのだからある程度の自制心は必要条件だろう。それの欠如で芸能界を去るのは自業自得だ。

ただ、芸能界から人間界に帰ってきた時、もう人間ではないような状態になるまでマウントとって殴り続けるジャーナリズムとやらはなにを伝えたいのか。

報道の真意はどこにいったのか。

 

事実の報道ならいざ知らず、怒りや妬みを煽るようなものは、伝える方も扇動される方も両成敗でいいでしょう?

 

民意を扇動し、祀り上げた悪者を排除していく巨大な言葉のなかに、自分を見失うのは得策ではない。

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