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ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

面白いを科学する。

 

笑いをとる、ウケを狙うというのは意思の疎通が図れれば、誰でもできる行為だ。

じゃあ僕らはみんな笑いのプロかといえばそんなことはない。オチをつけた話だってあんなに面白くは話せないし、漫才やコントをコピーしたところでスベるのは目に見えてる。

所詮僕らは素人だ。それでご飯を食べていってるプロの人たちとは全く違う。

 

しかしながら、ちょっとでも売れてる芸人が気に入らなければ、分析してはここがつまらないと指摘する声を聞く。仮にそれが的を射てたとしても、テレビに出て、お茶の間を沸かす彼らのように振る舞えるかといったらそうではないはずだ。

テレビでウケをとれない奴が発言するなよと言いたいわけじゃない。

ただ、茂木先生の発言が物議をかもしたように、僕らはプロの芸人さんが持つ技術や理論を何も知らない。わかった気になってるだけだと思うのだ。

 

間の取り方、フリオチ、など日常でもよく目にする会話内の流れ的なものは、上手な会話術を扱った本の中で言及され、ご丁寧に分析までしてくれている。話の技術ですら体系的に理解する時代が来た。

 

そんな中で、これは僕の意見でしかないけど、会話はやりとりの過程が大事だと思う。言葉のキャッチボールとはよく言ったもので、投げ合うことが大事だと思う。上記の方法論を習得して実践した場合、話し上手は会話上手になるのだろうか。方法が分かればなんでもできるかといったらそうではない。

話が上手くなっても相手がそれを聞けなければ会話は成立しないし、相手がいる以上理論だけでは予測のしようがないのだ。

 

話は一旦変わるがオーシャンズ金子の「オッオッオーシャンズオーシャンズ金子フゥッフゥ〜」という自己紹介は僕的には面白い。毎回見るたび笑っちゃう。

けど、これは上述した話みたいに、分析できる面白さではない。なんなら全く笑わない人もいると思う。けど、これ僕にとっては面白いのだ。

こんな風に、人によってツボは違う。だからとにかく理論だけを詰め込んだものより、会話の中で相手に寄り添ったものの方が、笑いのあるなしに関わらず面白いと思う。

それは技術よりも興味のほうが大事になってくる。話者であれば、相手の話したことを覚えておいて引用するとか、聞き手であれば人物説明省いてスムーズに話ができるように、よく出てくる人名は把握しておくとか、相手に興味を持つこと。これがないとできない。会話は1人でするものではないから相手への気配りのような意識こそ大切な要素だと思う。

芸人さんの話が面白いのはもちろん内容もそうだけど、聞き手が興味をもっているのだ。そしてより引き込めるように気を配る話だからあんなに笑えるんだと僕は思う。

 

『伝え方が9割』『聞き方が9割』分析した理論は飽和して、まさに現代版の古事成語になっている。そんな中飽和した、○○が9割に殴り込む『興味が9割』

どこかの出版社さんどうですか?

え、だめ?

でも売れてる本はタイトルが9割。

 

 

では、また。

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