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ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

トルコの改憲は数の暴力。

 

国内で騒がれている訳ではないが、トルコで改憲を巡る国民投票の結果が出た。

トルコのアナトリア通信によると、開票率99%の段階で賛成が51.37% 反対が48.63% となったらしい。

大統領に権限を集中し、独裁制を強化するという改憲がこの僅差で通った。

%を見る限りかなりの数がいる反対派の人たちは、やるせない思いと今後の動向を不安に思っていることだろう。

 

トルコに住んでいる訳でもないし、知ってるのはオイルレスリング?とアイスくらいな僕がどうこう言うのは、川谷絵音の活動再開に髪型が変だのなんだのと文句を言い続けてる彼らの文句くらい空回りするが、こんなん数の暴力だと思う。

 

独裁化が進むことにとりわけ文句はないけど、48%が反対しても国民投票という制度上、数値の多い方が絶対になるシステム。クイズの最終問題が得点3倍になるくらいのやるせなさ、今までのはなんだったの的なものを感じる。

ガキ使の携帯持たないで待ち合わせする企画で、3人も揃ってんだからこっちが正しいだろ!という意見が出ていたが、国民投票はまさにこれだなと思った。

 

おのおのに意見があるものの、答えとなるのが数値である以上、最大多数に所属していない限り意見は存在していないのと同じ扱いだ。

主権者の意見を反映するはずの民主主義は、イギリスのEU離脱、トランプ大統領の勝利など、ここ数年でその基盤が揺らいでいるようにみえる。

国民投票はやっぱり多数決だ。数で負けたら意見は存在してないに等しい。

 

9対1であろうと6対4であろうと、数が多いんだからみんなの意見はこっち!と舵をとることは、今後の進路を決めるにあたって英断ではあるんだろうけど、無視された意見を大量に生み出す結果になってしまう。

制度なんだから当たり前のことだし、それを分かっているから投票することができるんだけども、初めからなかったことになるなら勝った者の独裁とそう大差はない。まさに勝者が歴史を作るわけだ。

 

それでも、投票できるありがたみがあることは間違いない。先人達が勝ち取ってくれた参政権があるから今こうして好きなことを話せている。

けれど話したことが数値上無いものと扱われるのは、ひどく恐ろしいことだと思う。

 

システムとしては合理的である多数決は民主主義の制度として適切なのか。

すでに進路を決めたトルコ、イギリス、アメリカ。また、これから大統領選を控えた韓国、フランス。各国が歩む道から、僕らが何気なく享受する民主主義の基盤を見直したい。

 

では、また。