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ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

朝9時台の電車はサブカルチャー。

 

サブカルチャーという言葉がある。

俗にいうサブカルってやつ。

 

言葉が1人歩きしすぎてて、元の定義がなんだったのか霞んでしまっているけど、一般ないし流行文化に対するカウンターカルチャー。ここではそう捉えて話を進めたい。

隠れ家カフェなのに混みまくってるとか、見てる映画は大体ネットでオススメされてるとか、総じて結末が緩い作品を好むとか、主流文化に対して下位文化であり、少数派閥であったはずのカルチャーを大多数で好んでいる現状はよく矢面に立たされている。

あと、サブカルがサブカルを叩きあう、まだそこなの的な上下関係。下位文化内で起こる紛争ははたから見たら些末な問題だろう。

一般社会に溶け込んだものに対しては、一周回って好き。

一周回って一周回る前も好きだったんでしょうに。色々な背景を理解した上での発言ですと含みを持たせなきゃ、通ってきたカルチャーは伝えられない。伝えられないほど、サブカルは流行文化と密接になってしまっている。

 

黒髪ボブヘア伊達メガネ。首には一眼レフ。東南アジアやインドへ行く。

どうやら僕らにオススメの本やバンド、映画は聞いちゃいけないらしい。

 

 

サブカルが人間関係のカテゴライズに使われるようになって、サブカルに所属しようとする人、サブカルに括られる事を嫌う人、サブカルを好む事を隠そうとする人、大規模な少数派の中にも派閥が出てきた。

主流から外れたところが心地よく、文化や作品を好んでいた人達には、説明が難しくなった現状だなと思う。

これを好きと述べたら、相手の中に勝手に定義付けがされてしまう。にわかではないと証明するには一言では言い切れない。スピーチではなく会話をしなければいけない状況で自分を相手にちゃんと伝えるのは、難しい。文化を共有することで起こる背景。内輪ノリは同じグループでなければ表現できない。

 

インディーズの頃から応援していたバンドがタイアップとかで爆発的に人気になった時の現状はこれと全く同じだと思う。

例えば、好きなバンド何?という1番難しい質問に対し、名前を出しても相手が知らなければ、説明する中でバンドのことも、それを好きな自分のことも充分に伝えられた。しかし急に売れ出してしまうと、説明する間はないし、かと言って一言で述べたらミーハーにカテゴリー分けされるかもしれない。でも古参、新参者だと騒ぎたくはない。けど昔から好きでした。と表現できる日本語は残念ながら存在しない。

異なる文化どうしを飛び越えるのは容易じゃない。

「流行ってから知りました」は全く悪くはないのに、自己と所属を表現できるパーツを失っては自分の好きなカルチャーを他の文化群には伝えられない。

 

自分が好む文化が何であるのかを他グループに伝えるのは本当に難しい。

優越感というわけではないが、大多数の人が知らないものを、少数で好みあってる状況は余計な気苦労をかけたり、雰囲気が変わることなく心地がいい。

雪が降った影響で人が少ないまま受ける授業。先輩が修学旅行で自分達の代しかいない部活。今は人数が増えなければいいのにと誰もが思ったことがあるんじゃないだろうか。夢から覚めるように終わってしまうことがほとんどだけど。

 

この少数だからこその心地よさ。そしてそれが他のカルチャーに浸透して混ざってしまう。この流れはサブカルチャー以外のところにも潜んでいる。

心地よさの崩壊はあっという間だった。

 

朝の通勤ラッシュに巻き込まれたくない僕は、どこへ行くも可能な限りピーク終了の9時までは電車に乗らないよう色々調整してきた。来年度は4限に移動するはずと淡い期待を抱いて1限の必修を履修しないこともあった。結局時間は変わらず4年生で1限通ったけど。

そんな努力?の甲斐あって座れるわけではないけど窮屈ではない電車で都内まで繰り出していた。台風後の快晴のような、スッキリとした気持ちが車内にはあった。

それがだ、企業がフレックスを導入し始め、学生は積極的に遅い時間で履修を組み始め、ノマドの方々が移動を開始し始め、少しずつラッシュを避けた時間がラッシュになってきている。

好きな本がmiwaの主題歌で実写化したときのような気分。

サブカルがカルチャーに浸透していくように、ラッシュの時間は拡大し続けている。

 

一周回ってが必要なサブカル。電車利用者もラッシュに一周回ってくれないだろうか。

 

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