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ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

イライラの原因はあたしンちに学ぶ。

 

あたしンちの第4巻だったか詳しい巻数は思い出せないけど「満期のあれを」という話がある。

 

満期のあれをあれするために、母が銀行に訪れるのだが、待ち時間が中途半端にあり、その間に他の用事を済ませようと奮闘する話。

内容が面白いだけでなく、時間がうまく噛み合わないなかで、なんとか雑務をこなそうと東西奔走する心理がうまく描かれていてとても印象に残っている。

 

複数ある雑務をこなそうとする1日というのは誰もが経験し、その度時間や人にイライラするものだと思う。

その反面全てが解決して安堵できたときは、なんとも形容しがたい気持ち良さがある。

 

しかしながら序盤で予定が全て狂ったとき、自分が悪いわけじゃないのに邪魔がはいって雑務を完遂できないことが発覚したとき。この時の苛立ちは発散しどころがないからタチが悪い。

視野は狭くなるし、思考は短絡的になるし、人あたりは悪くなるしでいいことはない。けど抑えられない。

予定通り動いて、スムーズに1日を完成させたい。なんのためにバタバタ転げ回ったのかわからなくなる。

 

あたしンちのお母さんのように自転車で急げばまだなんとかなりそうな時なら、自分の行動で時間を巻けるなら、努力する方向性がはっきりしてるからあの苛立ちは感じないで済むことが多い。

問題は、電車が数分遅れたり、道が混んでたり、1人しか通れないエスカレーターで立ち止まられたとき。なんで今に限ってと叫びだしたくなる出来事に直面したときなのだ。

 

心を広く持てばイライラなんてしない、とかそもそも予定を秒刻みで詰め込まなきゃいいとか、解決方法はいくらでもあるけど、それではあの苛立ちは解消できないと思う。まぁ苛まれることはなくなるだろうけど、どうしてもやらなきゃいけない日というのは少なくとも1月に1回はある訳で、ここでは考えないことにしたい。元も子もなくなる。

 

人に八つ当たりしたり、ものにあたったり、苛立ちをなにか対象に向ければスッキリするなら、エスカレーターで立ち止まってる人に当り散らせばいい。それができないなら壁でも殴ればいい。あとはコントローラー投げるとか。壊してから後悔するんだよねあれ。

そうしないのはそれで解決できないからなんだと思う。僕らは予定をこなすために急いだことや、緻密に計算した時間が無駄になることにイライラする。電車や人は引き金を引いたに過ぎなくて、積み上げてきたものが無駄になることに苛立つのだ。

解消手段があるとすればオチをつけること。これに限る。

笑ってしまうようなことが起きれば、その日1日は人に話せる日になる。あたしンちのように、人に見てもらえるなら意味が生まれる。

1日を生かすも殺すも自分次第なら、苛立ちながらもなんとか笑えるポイントを生み出したいものである。