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ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

愚かな僕らじゃ抜け出せない、「数直線」という名のスパイラル。

 

徹夜明けの睡眠は、前日の分の補填かそれとも次の日の前借りか。

 

睡眠が不足してない時の自分からしたらはるかにどうでもいい問題ではあるが、睡眠時間どころか酸素もカロリーも足りず、胃の中にはカフェインのためだけに摂取したコーヒーしか入ってない自分には大問題のように思える。

 

前日の睡眠時間が0だったんだから補填と考えるのは妥当だが、本来寝る時間じゃないところに睡眠時間を生み出しているんだから前借りか。

確かに徹夜明けの夜とか意外と眠れない時があるし、前借り説はあながち外れてなさそう。

 

そんなことをぐるぐると考えていたら電車乗り過ごした。

 

乗り過ごした。という結果は幸か不幸かで見たら不幸だと思う。

ここでも睡眠問題と同様な問題は不安となって頭をよぎる。

 

今経験した不幸、前回の幸福分の余波か、次に幸福が訪れるための前金か。

 

ポジティブ思考と呼ばれる人たちは間違いなく後者で考えるに違いない。

次いいことあるからまぁいいや的な。そんなふうに考えられたら、ぶつけどころのない怒りを長時間抱え込まなくていいんだろうな。

今経験した不幸の埋め合わせに気づけるかどうか。

この観点から見ればポジティブな人はネガティブ思考の人より幸福を多く感じられるという定説に納得できる。

 

次幸福になるかどうかに確証は持てない。理論が破綻してしまうが、今の不幸はより大きな不幸の始まりを告げるに過ぎないものだ。とか。そもそも前回の幸福っていつあったんだよ。とか。

不幸なことばかり、嫌なことばかり、辛かったことばかり、そうやって覚えていくから、行動するたびに拭えない不安がつきまとうようになる。

 

幸不幸を数直線の上で捉えると、−が+に+が−に変動し基準値に戻るという移り変わりが常に意識の中に芽生えてくる。

このスパイラルに取り憑かれたら大きい幸福も素直に享受できなくなる。その分大きい不幸がやってくるなんてたまったもんじゃない。

 

別に、幸福と不幸は対ではないから対応しあってるなんてことはないといえばそれまでだけども、どうしてもいいことが起きるとそのあと何かあるんじゃないかと心配になる。

素直に幸福をそれとして受け入れられない。

抜け出せない連鎖の始まり。

 

死ぬまで続く1歩進んでは、また1歩下がるこの連鎖から抜け出すために、幸不幸を等価値で捉えないようにすればいいのか。

定義がない以上、比較することで幸福の明確さを増させる考え方はこのさい仕方ないとして、次にやってくる不幸への準備の仕方。頭蓋の中に映し出された不幸をどこまで数直線に反映させるのか。

 

幸福に重きを置くか、不幸を繰り返し思い出すか、それだけが問題だ。

 

では。また。