読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

ソフレに求められるもの

 

友達との関係性にも名前をつけた方が何かと都合がいい昨今。

これはSNSで特定のコンテンツを共有するときの感覚に近いと思う。

 

例えば、「視力悪い人の世界という」記事を目がいい人と共有すれば、わたしが見えている世界ないし景色を他者に見せることができる。わたしについての理解を深めてもらうには都合がいいのだ。

 

友達の関係性に名前をつければ、こういう友達がいて、こんな関係性だからわたしの日常はこう。と1語で暗に意味したいものを簡単に共有することができる。

これはSNSが台頭してる今、あたりまえになって至極当然のことだと僕には思われる。

伝えやすくさらに理解を示してもらえる。

 

顔を付き合わせて会話するより、わたしたちの会話内容さえも、求めてもいないのに向こうからフォローしてきた元カレや、込み入った話はしない同じグループのあの子に見て欲しい。

幸か不幸か、日常にあるたくさんの見世物を簡単にひけらかすことができるようになった現代で、この名付けを使わない手立てはない。

だから関係性を表象する語句は簡単に市民権を獲得できたんじゃないだろうか。

 

さらに、リアフレやネトフレなど関係性を示すだけの言葉にも、マイメンやズッ友などその関係の深度を表せるように変化があった。

♯マイメンで検索をかけた日には、目も当てられないくらい屈託のない笑顔が、画面越しの僕らを照らすことになる。

それぐらい拡散された言語になったと思う。

 

言語の変化は他にもあって、不倫はパパ(活)なんていう親戚みたいな言葉もできたし、セフレにはキスフレなんていう男性側はそれでいいのかと思う言葉もできた。

僕らは青色になったこの単語を見るたび、彼女らが含めてきた意味を受け取り貞操をどこにやっていいのかわからなくなるわけだ。

よく顔を知っているあの子が使い始めた日には目も当てられない。

 

しかしながら、関係語は増えすぎて、全ての単語が思惑通り機能しているとは思えなくなってきている。

今回タイトルに書いたソフレもその1つだと思う。

 

初めて見たときは字面から意味が読み取れなかった。

セ、じゃなくてソ。

これが添い寝のソだなんて初見で分かるわけないし、ソフレがいるって友達にあったこともない。

1番乗りになりたい気持ちはあるけど、ソフレで何の欲を満たせるのかいまいちピンとこない。

 

初めて僕がソフレを見た記事は女性向けの記事で、安全にスキンシップを図りながらフレンドに求められることで女性性をアップさせられる的なことが書いてあったと記憶してる。

この記事の定義に乗っ取るなら、ソフレとは別に意中の彼がいる場合に効果てきめんらしいのだ。

 

僕の高校時代の女友達も酒を飲むたび、プラトニックな恋愛がしたい。もう欲とかいいから添い寝だけしていた。と言っていた。女性からの需要はたしかにあるのかもしれないけど、この場合彼女は彼と寝たいわけで、記事の条件設定とは若干話が異なる。

交際中の男女がこの添い寝関係に落ち着くならそれでいいと思う。他人が口出すようなことではないからね。

 

じゃあソフレに求める(られる)ものはなんだろう。

性、食、眠の眠かと思いきや、添い寝でスキンシップな訳だから睡眠100%ではない。

人生に対する一抹の不安を埋めるためかと思えば、語り合うなら酒を飲んだほうが手っ取り早い。

 

もしかしたら、あたかい昼下がり的な平穏求めているのかもしれない。

ソフレいますって人にインタビューしたわけじゃないから確証はないけど、性、食、眠とは関係ないところに求めるものってそれくらいしかないんじゃないか。

 

 

しかし、もう大人になった僕らは異性にどんなに取り繕ったって、欲というものを程度の差こそあれど抱いてしまうということを知っている。

ソフレは男女が2人揃って満足することはない関係なんじゃないかと思う。

いや、これも当人たちの意識次第だから断定することはできないけどね。でもソフレで調べたり、話を聞こうとすると、片側の意見しかでてこないのだ。

両者大満足の関係はいまだに見たことない。見せて欲しい。男女の友情は存在するひとつのいいモデルケースになると思う。

 

欲とは離れたところで広がる関係は果たして名前をつけるほどに万人ウケするもので、簡単に活用できるものになるのか。

セフレ・彼女問題があるように、ソフレ・セフレ問題がいつ勃発してもおかしくない。

 

安全にスキンシップが図れると書いてあったが、男女が寝てる以上100%安全です。なんて誰も言えない。

 

ここから言いたいのはセフレに限った話ではないけれど、言葉が増えるたびに、簡単に別の定義下に移動できるようになってしまうということ。

 

リアフレという言葉がなければ仲良い相手は皆友達、もしくはフレンドだ。

パパ(活)がなければ資金援助の相手。

 

都合よく言葉を選べれば、相手に伝わるし、自分の置かれてる状況をわかりやすくすることができる。

その反面で、言葉を挿げ替えれば都合よく関係を作り上げることができてしまう。

 

 

言語で概念を理解するのが我々人間の特徴だと僕は思う。

だから、詳しく何かを定義できる言葉はたくさん普及していたほうが、会話1文1文の情報量を多くできて便利になるはず。

 

その反面で、言葉1つの定義が思惑通り機能しなくなりことも増えてしまう。

平穏を見せる意味での、もしくは事実として述べたソフレが違った取られ方をすることもある。

 

自分をわかりやすく見せるために選んだ言葉が違う面に転がるかもしれない。

 

言葉選びはもちろん日頃から気にしなくてはいけないものだけど、ここまで含む意味合いが各言葉に増えると、自分を共有するにあたって、気にしなくてはいけないことが増えすぎてしまう。

何かするのに仮想敵ばかりが増えていく。

 

だからSNSは敵ばかりだ。

広告を非表示にする